前回「ホタルよみがえり作戦の歴史」を報告しましたが、今回はその継続として5月の棚田の状況を報告します。
4月以降ホタルの生育に悪影響を及ぼさないように作業を中止しています。水は順調に全段に行きとどいていますがササ等がはびこっています。しかしこの状態が返ってホタルには良い状態ではないかと希望的観測をしています。
4月以降ホタルの生育に悪影響を及ぼさないように作業を中止しています。水は順調に全段に行きとどいていますがササ等がはびこっています。しかしこの状態が返ってホタルには良い状態ではないかと希望的観測をしています。
始めの一歩! 「磐山染め」ブランドをめざして!!
磐山には50年ほど前までシナアブラギリが栽培されていましたが、マンモス団地開発のため切り倒されました。私たちが整備を始めた頃には数本が細々と自生していました。その後、整備により地上に陽が射しこみ新たなシナアブラギリが芽吹き始めました。 その葉を使って草木染めをしたところ綺麗な黄色の染物ができました。講師の加納容子先生も感動されていました。そこで、シナアブラギリを育て「磐山染め」のブランドを立ち上げようとした矢先に「盗掘」されてしまいました。その後からも新芽が吹きましたが下草刈りの際一緒に切ってしまったりしてうまく育ちません。 今回は性根を入れて育てるために、シナアブラギリ自生地として囲い込みを行い保護することにしました。「磐山染め」ブランド製品化まで5年はかかるかもしれませんが、まずは第1歩として踏み出しました。. |
既に幾たびか「陰陽石」に沈む夏至の夕日、陰陽石に昇る冬至の朝日について記載しておりますが、「陰陽石」についての文献等が一切なく謎に包まれたままです。
2018年6月23日(夏至の2日後)、今年も夕日見学会を実施したところ、イワクラ学会所属の平津豊氏が参加してくださり、非常に興味深い遺跡であると太鼓判を押してくださいました。 私(あかいわ美土里の和事務局長南)も以前から色々資料を読み漁っていましたが、平津氏の言葉に勇気を得て私案をまとめてみました。 非常にスケールの大きな物語に私自身興奮しております。 ◎是非1度実物を見に来てください。 写真が小さくて読みづらいかと思いますが興味のある方は是非一読くださりご意見をお聞かせください。 宛先:[email protected] |
写真は赤磐市旧山陽町地区に残る3大史跡と「陰陽石」の関連図です。
先の記事は冬至・夏至を中心に見た日の出日の入線から考察したもので、遠くは出雲大社と結びつく壮大な物語でありますが、今回は地域内での「陰陽石」の立ち位置を表しています。熊山遺跡と両宮山古墳・備前国分寺跡は国の史跡に認定されています。石蓮寺跡には県指定文化財の石造十三重層塔(鎌倉時代)と市指定文化財「蓮華岩」があります。いずれもイワクラに関連した史跡であると思っています。
石蓮寺跡~両宮山古墳、石蓮寺跡~熊山遺跡が地図上ではいずれも約8.8km、熊山遺跡~両宮山古墳が地図上約11kmのきれいな二等辺三角形をなしています。その中に陰陽石が要の位置に存在しています。これは決して偶然ではないと私は思っています。
先の記事は冬至・夏至を中心に見た日の出日の入線から考察したもので、遠くは出雲大社と結びつく壮大な物語でありますが、今回は地域内での「陰陽石」の立ち位置を表しています。熊山遺跡と両宮山古墳・備前国分寺跡は国の史跡に認定されています。石蓮寺跡には県指定文化財の石造十三重層塔(鎌倉時代)と市指定文化財「蓮華岩」があります。いずれもイワクラに関連した史跡であると思っています。
石蓮寺跡~両宮山古墳、石蓮寺跡~熊山遺跡が地図上ではいずれも約8.8km、熊山遺跡~両宮山古墳が地図上約11kmのきれいな二等辺三角形をなしています。その中に陰陽石が要の位置に存在しています。これは決して偶然ではないと私は思っています。
おかやま森づくりサポートセンター備前県民局担当官が磐山に来られました
2018年3月22日、あかいわ美土里の和の活動で補助金を受けているおかやま森づくりサポートセンター備前県民局担当官が磐山に来られました。森サポ担当官が磐山に来られたのは初めてのことです。磐山頂上の巨石に立ち景色を楽しみました。快晴ではなかったが吉井川の流れがはっきり望むことができました。手前の工事現場は美作道のジャンクションで、赤い看板はキリンピール岡山工場です。お目当ては観音山頂上の陰陽石でした。考古学に造詣が深いようでした。巨石祠の石仏にも興味を持たれていました。見学後近所の子供達が遊んでいるところに入り込み一緒に遊んでいました。 磐山に来る直接のきっかけは森サポの理事会で白石会長が7周年記念誌を配布したことにあるそうです。理事会では大変評判になったようです。 |
7周年記念誌を発行しました。A5版です。
あかいわ美土里の和7年の足跡 里山再生「磐山」スタイル 目次 カラー口絵 16ページ 発足から7年を振り返って・白石斎会長 第1章:寄稿1 7周年に寄せて 21ページ~32ページ 第2章:活動記録 33ページ~56ページ 第3章:寄稿2 会員のおもい 57ページ~72ページ 第4章:7年間の足跡(年表) 73ページ~78ページ 編集後記 78ページ 頒価600円 ◎興味のある方にお分けいたします あかいわ美土里の和事務局 (709-0836 岡山県赤磐市下仁保216-25 南方) まで120円切手6枚(送料を含む)を同封して封 書でお申し込みください。 早いものでもう7年が過ぎました。活動の一部は本ホームページでご覧いただいていますが、記念誌では発足当初よりの活動を紹介しています。 タイトルの「磐山」スタイルは Ⅰ:里山のイメージとしてある農業のバックヤー ドではなく、都会的生活のバックヤードとし て現代社会の「癒しの空間」創成の活動をし ていること Ⅱ:発足当初の活動から常に子供と一緒に整備作 業から各種イベントを実施していること Ⅲ:会員は山仕事とは全く関係のない人々である こと に由来しています。 言葉にすれば、白石会長の巻頭に書いている 「人々が自然をもっと、もっと知り、学び、自然と仲良くなることで、町と自然が親密になるような環境つくり。そうして、街も豊かになり、自然も豊かになる。そんな壮大な夢を描いている。」 これこそが「磐山」スタイルだと思っています。 文責:事務局長 南裕三 |
2017年(平成29年)度は活動の節目となりました。
2018年3月末で当会は満7年を迎えます。これを記念して”あかいわ美土里の和7年の歩み「磐山」スタイル”とだいして記念誌を発行する準備を進めてきました。昨年年末に最終校正を終え2018年2月末の発行に目途がついた時、丁度仕事納めの当日に岡山県東備地域森林課課長より呼び出しがあり、何事かと駆け付けると岡山県備前県民局より「地域づくり推進賞」を授与することになったと告げられました。そう言えば昨年8月頃に課長から推薦するからとの話がありましたが、その後音沙汰がなかったので漏れたのだろうと思ってすっかり忘れていました。 急きょ発行社と相談してこのことを記念誌に掲載することにしましたので、発行を3月10日に延ばしました。 将にラッキーセブンと申しましょうか今年度が節目の年となりました。今後、10年、15年と活動を継続していくにはいろいろの困難が立ちはだかると思いますが、会員の皆様方の熱い思いを原動力にそれこそ地域活性化の一助になればと思います。とは言え使命感ではなく楽しく活動をするという今までのスタイルを決して見失わないようにしなければと思っています。 |
悠久のロマンに新たな1ページ!
2016年12月19日(月曜日)冬至(2日前)の朝日は陰陽石組のスリットの向こうに昇る! (天気予報では冬至の21日は曇り時々雨ということだったので前倒ししました) ◎午前6時40分集合、山頂到着7時5分まさに日の出の時間でした。この地点からは山があるので日の出は20分頃からでしたが予想通り朝日が陰陽石のスリットの向こうに昇ってきました(写真上段左から時間列7:30、7:36、8:00、8:00)。 夏至の夕日がこのスリットを通って沈んでいったことはすでにお話ししましたが、太陽信仰は朝日が中心になっていることから、今日の朝日を見て陰陽石の表が西側であることが確認できました。陰陽石はご承知のように男女の融合を表し、スリットは女陰を象徴しているといわれています。今日の光景を見て「昔女性は太陽であった!」という言葉を思い出し実感しました。古代の人々の考えが如何に崇高であったことか! ◎同行した若き陶芸家の丸山氏がなんと野点をしてくれました(写真中段)。素晴らしい感性に大感激です。 ◎帰り道観音山広場から見た桜が丘の町並みは雲海の底に沈んでいました。正面に言える山は石蓮寺です(写真下段)。 今日改めて私たちが活動している里山再生の地が素晴らしいところであることが実証されました。この悠久の地を赤磐の子供達に残したいとつくづく感じました。 |
里山の遺跡についての手がかりが一つ見つかりました!「磐山ロマン」の始まり!!
先日、丸山明氏より旧山陽町町史に「石井原山千光寺の由来」の記事が載っているとの連絡がありました。記事によると「備前四十八カ寺の一つに数えられる中島の千光寺は、その縁起によると、孝謙天皇の天平勝宝年中に報恩大師によって創建された。石井原山千光寺の由来は、古老の伝えによると、この山の後の峰に本尊奉霊の大石がありこれを来迎石といった。麓に閼伽井(文章には阿となっているが閼のことと思われる。閼伽井とはサンスクリット語のアルガの音写で、功徳水=仏に手向ける水と訳される。ウィキペディアによる)があり、境内に小原という字があり、これによって石井原山と名付けられた。」と書かれています。来迎石とあるので日の出とかかわりがあり、千光寺から見ればまさに東の方向になります。この大石が「陰陽石」なのか「座禅石」を指すのか分かりませんが、方角から見れば私達が「座禅石」と呼んでいる巨石だと推測されます。山門の右後方に三重塔が見えます。また座禅石からは左前方に三重塔が見えることからほぼ山門の延長上に大石=座禅石が存在します。 これにより大石が天平勝宝年(奈良時代)以前から存在することが解ります。ただこの大石に抱かれた石仏が何時の時代に安置されたかは今のところ不明です。 この記述から推測していくと「陰陽石」も奈良時代以前のものと思われ、これが農事用暦と推測されることから千光寺が建立される相当前から存在していたと思われます。 町史を編纂した人々を訪ねて、より詳しいことが聞ければと思っています。まさに「磐山ロマン」の幕開けです。 |
「磐山」は古代からの霊場でした!!
今までに幾度ともなく「磐山」の遺跡のことを報告してきました。2016年1月17日に新たな遺跡を発見を機にまとめてみました。 勿論、私達が里山再生活動に「磐山」を選んだ時には古代の霊場であったことを夢にも思いませんでした。最初に気付いたのは「磐山」の東側頂に巨石(写真1)を発見した時でした。眼下には吉井川が望むことができ、その姿が風水の九曲水と呼ばれる理想的な形をしており、「いわくら」信仰と絡めてパワーポイントであると確信しました(写真2,3)。しかも、元旦の初日の出が吉井川の向こうから昇ってくるという最高のロケーションになっています(写真4)。 整備を続けていくと西側の頂に「陰陽巨石石組」と千光寺33観音石仏の第22,23,24番千手観音石仏が見つかりました(写真5,6,7,8)。「陰陽石組」が何時の時代にできたかの文献、伝承がありませんが相当昔のことと推測しています。千光寺33観音石仏は昭和に千光寺周辺の村落が寄付したことが解っています。 昨年、「陰陽石組」のスリットに沿って夏至の夕日が30分にわたり沈んでいくのを確認しました(写真9)。明らかに古代の農事暦であることを表しています。 今回の発見は巨石による祠と石仏(写真0,11,12)の発見です。詳しくはトップページをご覧ください。 |
「あかいわ美土里の和」も全国区になった?!
6月中ごろ「プルデンシャル生命保険(株)e-約款寄付交付について、貴団体を推薦しようと思いますが受けられますか」というメールが飛び込んできました。メール発信者とは面識もなく、知人からの紹介通知もないので今はやりの怪しげな勧誘ではないかと一瞬疑いました。
いろいろ調べてみると決して怪しげなものでないと分かり、推薦をお願いしました。審査の結果条件に合っているとのことで9月初めに寄付を頂戴いたしました。正直いまだになぜあかいわ美土里の和が推薦されたかわかりません。推察するに当ホームページがひらがなの「あかい・・」
で始まっているので里山整備に関する検索でトップに掲載されるからではないかと思っています。それを見て、それなりの活動をしているのと内容を更新していることが評価されたのかもしれません。だとすれば、あかいわ美土里の和も全国区になった証かな?
故郷を愛するものとして改めて、私たちの住む「赤磐市(あかいわし)」に感謝したいと思います。
6月中ごろ「プルデンシャル生命保険(株)e-約款寄付交付について、貴団体を推薦しようと思いますが受けられますか」というメールが飛び込んできました。メール発信者とは面識もなく、知人からの紹介通知もないので今はやりの怪しげな勧誘ではないかと一瞬疑いました。
いろいろ調べてみると決して怪しげなものでないと分かり、推薦をお願いしました。審査の結果条件に合っているとのことで9月初めに寄付を頂戴いたしました。正直いまだになぜあかいわ美土里の和が推薦されたかわかりません。推察するに当ホームページがひらがなの「あかい・・」
で始まっているので里山整備に関する検索でトップに掲載されるからではないかと思っています。それを見て、それなりの活動をしているのと内容を更新していることが評価されたのかもしれません。だとすれば、あかいわ美土里の和も全国区になった証かな?
故郷を愛するものとして改めて、私たちの住む「赤磐市(あかいわし)」に感謝したいと思います。
里山整備の大切さを再認識しました。
先日NHK朝のニュースで「広島の土砂災害の原因の一つは山の整備が行われていないため、雑然と枝葉が茂り、また葛やフジが絡み地肌に陽があららないため木が太く成長せず、地面には草が生えなくなっているため保水力がなくなり一気に土砂が流れ出す」と解説していました。左の写真のように私どもの里山もまさにその状態で人を近づけない状態でした。中の写真は1年後の冬の姿で、右写真は2014年5月の姿です。地肌に陽が当たり草が生えています。里山のエリア内に小川が流れていますがここも荒れて土砂に埋もれたり、倒木が重なり合って川の役目をはたしていません。これでは大雨の時に大きな災害が心配されます。この為皆さんに呼びかけて、12月に川とその周辺を整備する予定にしています。 里山はネオポリスと呼ばれる大団地の保健保安林ですが左写真のように全体が荒れていますので、他人ごとではないと思います。私たちが活動を始めたときにも認識していましたが、今回改めて活動の大切さを認識しました。 災害を回避し、市民が楽しく過ごせる場所を目指したいと思いますが、山際に住む方々の認識がもっと高まることを期待したいものです。 |
夏至の夕日が観音山山頂にある岩倉のスリットの向こうに沈んで行きました!
かねてよりこの岩倉が季節を表すモニュメントであると考えていました。3月の春分の日に見たときは既に記載しているように夕日の沈む方向は左に大きくずれていました。したがって夏至には丁度スリットの向こうに沈むと予想した通りに沈んで行きました。
写真は白石会長が6月25日に撮ったものです。21日の夏至の当日は梅雨空で残念ながら夕日を見ることができませんでした。その後も曇り空で25日に何とか夕日が期待できたので観音山に登られました。夏至から4日立っているので既に少し右の方にずれているのとうす雲がかかっているのと木立に邪魔されてはっきりとした夕日ではありませんが、それでも辛うじて夕日が確認できると思います。(スリットの中段あたり)
私たちはこの岩倉が人工的に作られたものと思っていますが、地元の方の話では自然現象でできたものと伝えられているそうです。もし自然の力でできたとしたらそれこそ奇跡でより神秘的であり崇高であると思います。いずれにしても第1級の創造物ではないでしょうか。
かねてよりこの岩倉が季節を表すモニュメントであると考えていました。3月の春分の日に見たときは既に記載しているように夕日の沈む方向は左に大きくずれていました。したがって夏至には丁度スリットの向こうに沈むと予想した通りに沈んで行きました。
写真は白石会長が6月25日に撮ったものです。21日の夏至の当日は梅雨空で残念ながら夕日を見ることができませんでした。その後も曇り空で25日に何とか夕日が期待できたので観音山に登られました。夏至から4日立っているので既に少し右の方にずれているのとうす雲がかかっているのと木立に邪魔されてはっきりとした夕日ではありませんが、それでも辛うじて夕日が確認できると思います。(スリットの中段あたり)
私たちはこの岩倉が人工的に作られたものと思っていますが、地元の方の話では自然現象でできたものと伝えられているそうです。もし自然の力でできたとしたらそれこそ奇跡でより神秘的であり崇高であると思います。いずれにしても第1級の創造物ではないでしょうか。
赤磐市民活動支援センター「どんぶらこ」 会員交流会2014年6月定例会が磐山で開催!
「どんぶらこ」には白石会長と岡田さんそして南の3人が個人会員として参加しています。
6月の交流会を「磐山」で開催するように企画書を提出したところ、こころよく賛同していただき6月10日午後2時から
開催されました。
会の皆さんに磐山で採取したヨモギを使ったヨモギ餅とサルトリイバラの葉を使ったかしわ餅でおもてなしをしました。
お茶には6月8日に作った(活動報告のページを参照してください)健康茶を使用しました。
すでに梅雨入りしていましたが、幸いなことに梅雨の中休みで楽しいひと時を過ごしました。
どんぶらこの皆さんに里山の素晴らしさを知っていただけたのではないかと自負しています。
「どんぶらこ」には白石会長と岡田さんそして南の3人が個人会員として参加しています。
6月の交流会を「磐山」で開催するように企画書を提出したところ、こころよく賛同していただき6月10日午後2時から
開催されました。
会の皆さんに磐山で採取したヨモギを使ったヨモギ餅とサルトリイバラの葉を使ったかしわ餅でおもてなしをしました。
お茶には6月8日に作った(活動報告のページを参照してください)健康茶を使用しました。
すでに梅雨入りしていましたが、幸いなことに梅雨の中休みで楽しいひと時を過ごしました。
どんぶらこの皆さんに里山の素晴らしさを知っていただけたのではないかと自負しています。
10月9日付毎日新聞岡山版にツリークライミング体験教室の記事が大きく載りました。
記事を書いた平川記者は1日我々を取材し自らも体験されただけに素晴らしい記事になっています。
森を楽しむ子供たちが今後の里山保全の原動力になると信じ、里山整備作業を続けていこうと思いました。
記事を書いた平川記者は1日我々を取材し自らも体験されただけに素晴らしい記事になっています。
森を楽しむ子供たちが今後の里山保全の原動力になると信じ、里山整備作業を続けていこうと思いました。
2013年12月7日(土)地元保育園グループが運営する地域子育て支援教室主催のイベントが桜が丘いきいき交流センターで開催されました。太鼓やダンスの舞台発表、絵本の読み聞かせ、リース作り、木工制作、まつぼっくりけん玉作り等盛り沢山のワークショップが行われました。あかいわ美土里の和の白石会長が木工制作部門の講師として参加されました。理事長の「些細な活動ですが少しでもしぜんに親しんでもらえれば」との言葉が印象的でした。
この保育園グループとは里山遠足や整備作業を通して交流があり、当イベントを通じまた交流が深まりました。
写真は白石会長のサンプル作品です。子供の笑顔が印象的でした。
写真をクリックすると大きくなります。
この保育園グループとは里山遠足や整備作業を通して交流があり、当イベントを通じまた交流が深まりました。
写真は白石会長のサンプル作品です。子供の笑顔が印象的でした。
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